恩師のお別れ会

1年ぶりの更新。 

先日、学生時代の恩師のお別れ会に参加した。 
いつでも会えるというのはなんという奢りか。 
穏やかなやわらかな笑みの恩師の遺影を前にしみじみと後悔とさみしさを感じた。 

先生にとって遺稿となった本のあとがきに書かれていた文章を奥さまが朗読された。 
先生がいま目の前で語っているかのような、先生そのものの文体に驚いた。 

いつも気取らず身軽でにこにこやわらかなお人柄なのに、切り口は鋭くクールでご自分の信念は絶対に曲げず通された先生。先生とわたしは猫好き引越し魔仲間で、いかに人間は猫に飼いならされているかという話題でいつも盛り上がった記憶。     

もう会えないというのはものすごくさみしいことだ。死はあらゆるものからの解放だとしても、それは圧倒的にさみしい。

わたしの人生を変えるきっかけというのは自分で探し回っているときにはあまり出会えないような気がする。 

あとになって、 
ああ、それはそういうことだったのか 
とか 
そういえばあのときのあの一言がきっかけでわたしは方向転換したのかもしれない 
といった具合にそれは結果論でしかないような気がしている。 

「フレームに切り取られた空間について」800字で述べよ。 

わたしが19歳だったときからずっと、恩師から出題されたこの問いをずっと考えている。 

先生、ありがとうございました。

 

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